人工弁.COM お問い合わせ・ご相談
心臓弁膜症患者さんをサポートする情報サイト www.jinkouben.com

HOME 心臓弁膜症とは? 人工心臓弁の役割 手術後の生活 サクセスストーリー エッセイ よくあるご質問
医師・小柳 魂のメッセージ
医師・小柳 魂のメッセージ(当サイトの監修人でもある小柳先生が綴るエッセイ)
Profile
小柳 仁 先生
聖路加国際病院
ハートセンター顧問、
東京女子医科大学名誉教授。
プロフィール
Back Number
【 第 4 回 】
追憶のヨーロッパ(4)
パリ編
【 第 3 回 】
追憶のヨーロッパ(3)
ミュンヘン編2
【 第 2 回 】
追憶のヨーロッパ(2)
ミュンヘン編
【 第 1 回 】
追憶のヨーロッパ(1)
ハンブルグ編
 
 
第2回 追憶のヨーロッパ(2) ミュンヘン編1
1975年12月中旬、ミュンヘンに到着した。ここが今回の留学先バイエルン心臓センターのある街である。勿論はじめてで、駅前にはユーゴスラビアなどからの鉄道のヨーロッパの入口でもあり、今日でいう難民のような一家があてもなく佇んでいたりしている。

下宿先は、ミュンヘン大学(マキシミリアム校)の近くのペンションである。
300年経った石造りの建物でエレベーターは最近ついたようである。
私学共済から出る奨学金は1日5,000円相当であるが、このペンションは朝食つき3,800円かかる。39才の大学助教授クラスはこの程度のお金しか出ない。
ここから歩いてバイエルン心臓センターに通うことにした。徒歩20〜25分はかかる。古い石だたみの街を歩き、アルテピナコテクなどの世界でも有名な美術館、BMWの本社の近代的な建物をすぎ旧い街のはずれに病院はある。

ドイツ心臓センターは戦後ドイツの医療政策の一つの金字塔である。計画性、戦略性のなせるわざであろう。戦後、心臓病治療の重要性を一早く認識したドイツ政府は、全国のサナトリウムを計画的に心臓センターに改組しはじめた。全国で40個所の心臓センターを目指したが、日本人の私が知るかぎりでさえ17個所の心臓センターが国際的によく知られている。500個所の中小の心臓外科が林立する計画性のない日本とは全く異なる。ベルリン、デュッセルドルフ、ミュンヘンなどが特に有名である。にくいことに、この心臓センターは、多く地元の伝統ある大学医学部とうまく連動していて、人事交流がはかられている。

さて、バイエルン心臓センターは、ミュンヘン大学の心臓センターの心臓外科教授シーブニングが横すべりで院長となった。私の友人ハンス・マイスナーは心臓外科NO.2である。早朝7時にカンファレンスがはじまり、1時間で終了すると一日の仕事がはじまり、夜までつづく。ドイツ人の計画性、勤勉性を知ることとなる。戦前の古いサナトリウムを病棟とし、その前庭に、病院のマシーンの部分、つまり検査設備、手術部、集中治療部、中材部、薬剤部、管理部などをすべて集中させた小さいビルを、これのみ新築している。私の自論である、「病院は箱(慢性病棟)とマシーン(手術、検査、材料、薬剤、アドミニストレーション)の部分に分ける。マシーンの部分はサイクルを短くする。箱は長くもたせる。」という考え方と全く一致する。

手術部も戦略的である。レントゲン手術室が2つある。そこで、各室一日2例の開心術をたてに施行、計1日4例、週20例、月間80例、1年に1,000例である。集約の結果このような戦略が立てられる。年間30例〜50例の心臓外科が全国に200〜300施設もある日本の計画性のなさは日本人が勤勉であるだけに実に惜しいと思う。この計画性を見聞出来ただけでも、この南ドイツへの留学の意味はあった。ペンションと病院の往復の毎日で観光はしなかったが、人生のなかの非常に意味のある時間であったと今となって思う。そして忍耐する事も多かった南ドイツ、ババリアの平原をなつかしく想い出す。

次回はミュンヘン及びその周辺の風土、生活などをお話しようと思います。

上に戻る

 
このサイトについてサイトマップ個人情報保護についてリンク集
Copyright (c) 2002-2008 St. Jude Medical Japan Co., Ltd. All rights Reserved.