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医師・小柳 魂のメッセージ
医師・小柳 魂のメッセージ(当サイトの監修人でもある小柳先生が綴るエッセイ)
Profile
小柳 仁 先生
東京女子医科大学 名誉教授
プロフィール
Back Number
【 第 4 回 】
追憶のヨーロッパ(4)
パリ編
【 第 3 回 】
追憶のヨーロッパ(3)
ミュンヘン編2
【 第 2 回 】
追憶のヨーロッパ(2)
ミュンヘン編1
【 第 1 回 】
追憶のヨーロッパ(1)
ハンブルグ編
 
 
第4回 追憶のヨーロッパ(4) パリ編

チロル山脈のふもとババリア平原の冬はきびしかった。
吹雪の夜に、石造りの街を街燈をたよりに歩いていると、黒い大きな人影が近づいて来る。ドイツの女性は目鼻立ちがくっきりしているのに、さらに、化粧が濃い。長身の女性が黒いマントを着て近づいて来る。すれちがうときは魔女かと思った。

ハンブルクに入ったのは11月末だったが、今度の移動も真冬でクリスマス直前であった。トーマス・クックの時刻表を持ち、鉄道でパリまで移動した。バーゼル、ミュールーズとすぎ、絵のようなフランスの田園地帯をすぎる。パリへの期待に胸がふくらんだ。

僧帽弁膜症の外科は先天性心疾患の外科と並び、心臓外科創成期の主要なテーマであった。初期の閉鎖式交連切開術のあと人工心肺の安定と人工弁の登場で、僧帽弁外科はあたかも人工弁外科のごとくに、一気に変貌していった。
しかし私が術者になりたての1970年代、すでに人工心肺など開心術を支える側面は充分成熟し、時間をかけて僧帽弁の構造物を評価し形成することが可能なのではないかという疑問をずっと持ちつづけていた。そんな時、パリのBroussais Hospitalのカルパンティエ教授の弁形成術の論文が世に出た。腱索、乳頭筋そして石灰化にまで手を加える徹底ぶりと、弁輪を正常の形態に戻すための人工弁輪の使用も含め、1つのphilosophyが示されたと感じた。

パリについた翌日から、エッフェル塔のほとりのビルアケイムの駅から、メトロでパリ13区の街はずれにあるブルッセイ病院に通った。パリ大学の附属病院の一つで主任教授のシャルル・デュボストがフランスの第一人者であったとは云え、その玄関は壁がはげおちla charite慈善病院の文字が示すように周囲は古いアパート群が立てこんで、まるでスラム街であった。それでも玄関にはフランス国旗が掲げられていた。私はまるで聖地の遺跡をたずねた巡礼のように、この門をくぐりカルパンティエの手術室に通った。主任教授のデュボストがガラス張りの大手術室を3室使い、多くの仏人助手を使って多数の手術をさばいていた。手洗場を間において、一隅に窓のない小部屋が一つあり、ここがカルパンティエの手術室であった。2〜3人の旧フランス植民地出身のレジデント相手に一日2例の後天性弁膜疾患にとりくんでいた。

ブルッセイ病院の玄関

ブルッセイ病院の玄関

私は正直のところ我が眼をうたがった。僧帽弁があまりによくみえた。これほど弁膜および付属装置がよくみえたら形成したくなるし、よい形成手術が出来る。視野をどのように確保しているのかに注目した。婦長にたのんで各種の鉤の型紙もとった。時に助手側でなく、術者側から、彼の肩につかまらせてくれ、形成の細部をみせてくれた。ここ数年、不満と疑問を感じ何かもっと求めるものがあるはずだと予感しつづけてきたphilosophyがそこにあった。私の手術手技の基礎のほとんどはこのブルッセイで成熟したものである。まだ“French correction”として全世界に有名になる前に、ブルッセイで学んだことは生涯の宝であると思っている。

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