寺尾清見・・・彼女の名前を、あるいは顔をどこかで見知っている方もいるかもしれません。
彼女はステンドグラス作家。
年に1度個展を開き、ステンドグラスの研修会や材料の買い付けなどで、外国にも頻繁に行き来する多忙なキャリアウーマンです。
公共施設、商業施設そして個人の住宅からの注文をもこなし、多忙を極め、休みなく時間を忘れて仕事に没頭する毎日で、それを当たり前のようにこなしていました。
昔から丈夫な寺尾さんは、ご自分の健康や体力を信じきっていたようです。
2005年。春から日米間の往復という生活が続いていたその夏のこと。お盆ごろから微熱が出始め、しばらく37℃〜38℃から下がらず、近所のクリニックで検査をしても原因が分からず、紹介してもらった病院でも判明せず、結局、海外旅行を控えていたため、解熱剤だけ処方してもらいオーストラリアへ旅立ちます。その旅先パースで、ぎっくり腰になり現地でERへ入るという貴重な経験を経て、帰国後すぐに病院へ行きます。その検査で感染性心内膜炎による大動脈弁閉鎖不全症であることが判明しました。
そのまま即入院。
1週間後に手術を受けることにその場で決定。
しかし、ここから、寺尾さんの本来のひるまない前向きな性格が発揮されます。
手術の全てを徹底的に詳細まで知り尽くさないと納得できない性格ゆえ、先生を捕まえて徹底的に質問や注文を始めました。
心臓手術に対しての質問はもちろんのこと、「体の表面に出来る限り傷は残さないで!」「(胸骨を切るときは)切り口は可能な限り下から切って!そしてまっすぐに!」・・・・など、芸術家としての細部へのこだわりをいかんなく発揮したわけです。
そして2005年10月24日、本来の大動脈弁をセント・ジュード・メディカル®人工心臓弁(機械弁)に置き換える手術を受けます。
この手術の経験が、その後の寺尾さんの人生に大きな影響を与えることになります。
ステンドグラスを始めてからここまで30年間、猛スピードで走ってきた人生でした。依頼があれば多少無理をしても必ず受け、何としても納期までに完成させる。その責任感と精神力の強さが現在の寺尾さんを作りあげているのでしょうが、そんな休みなく走り続ける寺尾さんに、あるとき体が警告を発したのでしょう。
「最強の清見さん」と自他共に認め、自分自身が選んだものを徹底してやりぬく。納得いかないことは受け入れない、後ろを見ることは絶対にしたくない、とはっきり言い切る寺尾さん。
実はこの手術と入院については、「ぎっくり腰で入院している」としてステンドグラスの生徒さんや仕事先には一切隠していたそうです。退院してからは事実を告白したそうですが、この手術と入院は30年間走り続けてきた人生にちょっとした区切りをつける機会になったようです。
この経験により、仕事を断ることを覚え、無理はしなくなったことで、気持ちが楽になったとのことです。
ところで、寺尾さんはステンドグラス作家として、その材料であるガラスを扱うのですが、その際に体を傷つけないよう細心の注意を払っています。 人工弁(機械弁)を植え込んでいる方は、抗凝固療法のためにワーファリンを服用する必要があり、一般的には抗凝固療法を行うと出血しやすくなると言われています。ガラスを扱う仕事では怪我をすることもあるでしょうし、抗凝固療法が不要と言われる生体弁をなぜ選ばなかったのか?と疑問に思ったので、率直に質問してみました。
「だって長持ちするじゃない。2度手術をするのは絶対嫌よ!」
寺尾さんらしい、とても明快な答えでした。
彼女は、決して後ろは見ないと断言しています。
「前向きな考えで前に進むことを考えていると、その力で人生は思った方向に行くものじゃない?精神力はそのまま生命力ではないかと思う。」と言っています。そして続けてくれました。
「人生は何も怖がることはないのよ。悩んでもしょうがない。前に進むしかないの。そしたら前には可能性があるはずだから。私は人生を楽しんでいるの。ハンディキャップはないのよ。このことを皆さんに伝えたい。」と、その力強さには気迫さえ感じられました。
インタビューの間、寺尾さんの作品はきっと力使いものが多いに違いないと思っていました。しかし、素人目からではありますが、彼女の作品は、繊細で優しくウィットに富んだ寺尾さんの人間としての深さを映し出しているように思えるのです。 |