朝7:40、病院到着、医局に直行する。8:10、心臓カテーテル検査室へ。8:20、患者さんが入室して検査や治療が開始される。気持ちが引き締まる一瞬である。今日もスケジュール通りの1日が始まろうとしている。
若手医師への手技指導を行いつつ、カテーテル治療の術者を次々と勤めてゆく。そして夕刻、無事に心臓カテーテル検査治療が終了すると、その後すぐに病棟回診へと移動する。この他、外来担当日にはカテーテル室を離れて、外来ブースで多くの外来患者と向き合う。
病棟回診が終了すると、ようやくホッと一息つく瞬間がやってくる。しかしまだまだ帰宅にはほど遠い。 さらに一仕事が待っている。カテーテル治療を担当する患者さんへのインフォームドコンセント、担当の患者さんのカルテ作成・確認等も完璧にしなければならない。最近は臨床研修指導医として若手の医師の指導にもかなりの時間が割かれている。医局へ戻ってからも、依頼原稿や論文執筆、あるいは学会準備に多くの時間が必要である。ふと腕時計を見ると今日も夜9時になろうとしている。
そろそろ帰宅の途につこう。最近通い始めたスポーツジムにも、今日こそは立ち寄りたい。先週は2度も行ったのに今週はまだ1度も行けていないし・・・。ようやく立ち上がるのはこの時間になってしまうのだ。
彼の名前は緒方信彦。 神奈川県伊勢原市の東海大学病院に勤務する循環器内科の医師である。日々現場で、数多くの冠動脈あるいは頸動脈や末梢血管のカテーテル治療に携わる医師なのである。
皆さんももしかしたら、白衣を身につけ所狭しと院内を駆け回る緒方医師の姿を見かけることがあるかもしれません。
こんなハードな生活を送っている彼は、一世を風靡した「24時間戦えますか?」のコピーを地で行っているような職業人です。ただ一点他の方達と決定的に異なる点を除いては。
時は緒方医師が大学3年生の時代に遡ります。
大学3年生。熊本大学医学部生だった彼は、医学部学生会のテニス部に所属し、前途洋々の大学時代を送っていました。そんな折、大学の定期健康診断にて心雑音のため即座にカテ検査が必要との診断を受け、カテーテル検査入院をした結果、先天性二尖弁による重度の大動脈閉鎖不全症との診断が下されたのです。
テニス部の活動も、もうすぐ幹部学年になるということで「いよいよ自分達の時代だ!」とより一層力が入るようになりかなり燃えていました。そんな矢先のこの宣告に彼が相当なショックを受けたのは想像に難くはないでしょう。
思い返せば幼少時に心雑音を指摘されていましたが、当時は今ほど検査の性能が高くなく、原因不明のまま何の問題もなく、ハードなスポーツもこなしながらいつの間にか大学生になっていました。
病気が明確になり、手術を受けなければならなかったのですが、長期入院を考え手術は大学4年生の夏休みに行いました。本来の心臓弁をセント・ジュード・メディカル®人工心臓弁(機械弁)と取替える手術です。
テニスと勉学に明け暮れていた自分が、その青春の代名詞とも言えるテニスを辞めざるを得なくなり、同級生が次々にレギュラーになっていくのを見るにつけ、非常に悔しい思いをかみしめていました。その後の学生生活に暗い影を落としたと言っても過言ではありません。
しかし、徐々に冷静さを取り戻し病態や手術を要すること、術後の生活なども含め状況を全て受け入れることができるようになっていきました。そしてこの経験を通じて循環器内科医として歩むことを決断したのです。
手術後は徐々に以前の生活を取り戻していきましたが、大胸筋を使うテニスをこれまでのように競技レベルで行うのは難しいと判断し、テニス部での活動は中断しました。しかし、その後も大好きなテニスをあきらめる必要は全くなく、自分の人生から切り離されることがなかったのは幸せなことだと言えるのではないでしょうか?
現在の緒方医師とテニスの関わりかたですが・・・・・・冒頭でご紹介しましたように、朝から夜中近くまで患者さんと日本の医療の更なる進歩のために働き続けているため、残念ながら忙しすぎてテニスにまで時間が割けないという状況だということです。
このような患者さんのために日夜刻苦勉励中の彼が、医師として同じ立場の患者さんに訴えたいことがあります。
「一般的に弁置換術などの心臓病などで大手術を受けると、ネガティブな考え方をするようになる患者さんが多いのですが、民族的な違いなのかもしれませんが、欧米の場合は手術前よりももっと活動的な生活を送ろうとより強く意識して術後の生活を確立している方が多いようです。
アクティブな生活を取り戻すために手術を受けるのです。どうぞ恐れず、主治医の指示に基づきながら、より積極的にいろいろなことにチャレンジして、大手術を受けた患者だということで人生をあきらめたり、不必要に制限したりしないで下さい。それを可能にするための手術なのですから。」
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