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患者様の声 fromJapan
患者さんの声 from Japan
國吉マツ 6.國吉 マツ
今の目標は150歳まで生きること
寺尾清見 5.寺尾 清見
ハンディキャップなんてない。私は人生を楽しんでいる。
中井川幸枝 4.中井川 幸枝
葡萄作りに、ボランティア活動、海外旅行にも。「以前よりもずっと元気になったのです!」
福島光代 3.福島 光代
「夢はマスターズ世界大会出場!!」
1.藤井フミ子 2.藤井 フミ子
「ハートの記念日」を迎える度に感謝の気持ちで一杯に・・・
1.緒方信彦 1.緒方 信彦
私と同じ立場にある患者さんへ・・・医師として、一人の人間として
患者さんの声 from U.S.A.
キャスリーン スカーリー 5.キャスリーン スカーリー
New Yorkマラソン完走!人工心臓弁を植え込んでいる女性で初のマラソン完走者
ヴェロニカ マイヤー 4.ベロニカ マイヤー
そしてついに2007年5月16日(ネパール時間午前4時)3度目の挑戦でエベレストを制覇!!
ルーディ ガルドニック 3.ルーディー ガルドニック
自分のこの境遇に感謝したい!
ブライアン ムーア 2.ブライアン ムーア
レス バレットの成功談が人工心臓弁を植え込んでいる自分にマラソンを走るよう奮い立たせた!
レス バレット 1.レス バレット
人工心臓弁植え込み7年後、シカゴ・マラソンに参加
ベロニカマイヤーのエベレスト登頂記
「夢はマスターズ世界大会出場!!」
福島光代

2004年 春・・・・福島光代さんは、翌2005年1月に開催される水泳の「マスターズ大会」出場を目指し水泳のトレーニングに励む日々を送っていました。ある日、福島さんのインストラクターは、トレーニング中の福島さんの後姿を見ておかしなことに気づきました。福島さんの背中の筋肉の一点が全く動いていないのです。そのインストラクターがスポーツ医学を通じて知り合った医師にこのことを相談したところ、「心臓が悪い可能性がある。」という助言を受けました。こうして元気一杯に生活を送っていた福島さんは、思ってもいなかった現実に直面することになります。

2004年10月に精密検査を受けましたがその結果は思いがけないものでした。弁膜症が見付かり、「競泳レベルの水泳は禁止」と指示されてしまうのです。世界マスターズに出場することを目標としていた福島さんは、この現実をなかなか受け入れることができませんでした。心配したインストラクターを通してスポーツ医学を専門とする医師に会い、手術の必要性を説得されました。その手術を受けるかどうか1週間真剣に悩みましたが、3月末に手術を受ける決心をし、決意を伝えるべく大学病院を再訪しました。2005年5月7日に入院し、心臓カテーテル検査。当初は5月10日に一旦退院の予定でしたが、想像以上に病状は悪化しておりそのまま入院となりました。

入院中の全ての記録を残そうと病院に一眼レフカメラを持参し、手術でさえも前向きにとらえた福島さんは、その明るい性格で一躍院内の人気者になりました。お会いした同室の方は、「自分が重病であり大手術を受けなければならないという現実に対してとても落ち込んでいたが、福島さんの明るさとエネルギーから元気をもらい、手術を受けることに対して前向きになることが出来た。」と話して下さいました。

2005年6月8日。大動脈弁狭窄症のため大阪の大学病院にて心臓弁をセント・ジュード・メディカル®人工心臓弁に置き換える手術を受けました。
手術後は「はやく元気になって退院する」と自分に言い聞かせ、リハビリテーションにも積極的に取り組みます。とにかく少しでも早く水泳をしたいという一心だったのです。

とても明るくエネルギーに満ちあふれ、病院中に明るいパワーとエネルギーと笑いを振りまき、お茶目ぶりを発揮していた福島さん。例えば、手術に使う自己血を採血する日には、たくさんのギャラリーが見学に来て採血室がとても賑やかだったというのですから、その人気ぶりが伺えます。また、同室の方も「福島さんの登場で、その病室があっという間に明るくなりました。」と話してくださいました。「手術を受けるのを、何を怖がっているの!!元気になるために手術を受けるんでしょ。落ち込んでいないでドクターに命を託そうよ。だって私達はまな板の上の鯉だもの、元気になれば幸せになれるんでしょ。」と福島さんは明るく笑いながら、同室の方達を励ましていらっしゃったそうです。
このような福島さんの入院生活は、この大学病院の語り継がれる伝説になるでしょう。

ところで、福島さんの水泳に対する情熱はどこから来るのでしょう?
水泳を始めたきっかけは、お孫さんをプールに連れて行った10数年前に遡ります。水泳はそれほど得意ではありませんでしたが、「上手に泳げるようになってみせる」というお孫さんとの約束を果たすべく練習に打ち込んでいるうちに、すっかりのめり込み、「世界マスターズ大会」に出場することが人生最大の目標となっていったのです。マスターズにエントリーできるスクールに変更し、インストラクターの指導の下、ますます本格的に練習を重ねていきました。そのインストラクターに付いて練習を開始して3年目に出場したマスターズ大会で3位入賞!!このときから福島さんの目標は世界に変わったのです!「80歳で世界マスターズを目指す!」という強い意志を持ち、そのために文字通り「マスターズ出場に人生を捧げる」と形容すべき生活を送っていました。

福島さんは「人生キラキラ感謝して生きる」をモットーに、夢を大きく持ち毎日を楽しく生きていきたいと、何度も繰り返し元気に話してくださいました。これが彼女のパワーの源なのでしょう。

さて、退院予定日は7月7日、でも福島さんの強い希望で術後16日目の6月24日には退院。主治医から「帰宅したら3日間は絶対安静に」と厳命を受けたにも関わらず、その日の夕方にお料理をしようとしたそうです。その包丁を持った手に力が入らず、自分が心臓手術という大手術を受けたことを改めて実感すると同時に、もう少し長く入院しているべきだったと後悔したそうです。しかし福島さんはそのようなことにもひるまずに、持ち前の明るさと前向きさで日に日に調子を取り戻していきます。

7月23日には主治医から「プールで歩いていい」という許可が得られました。けれども、実際には水圧の加減でまともに歩くことはできませんでした。
8月2日、本格的に水泳を再開します。クロールをゆっくり泳いでみたものの、足の力が非常に弱くなっていて10mも泳ぐことができません。しかし毎日ビート板でバタ足の練習等を繰り返し徐々に距離を増やしていき、クロールの練習を始めます。

また、退院後は仲間の方達と「患友の食事会」と称して3ヶ月に一度食事会を開き、現在では月に一度、病院のレストランで食事会をして楽しんでいます。そしてその仲間達に「生まれ変わった人生を、常にキラキラ生きていかないともったいない。新しい命を与えて下さったドクターや一生懸命お世話をして下さった看護師さん達に申し訳ない。弱音をはかず前向きに明るく朗らかに気持ちを持てば、どんな病気にも負けないよ。だって私がいい見本よ。」と元気に励ましていらっしゃるそうです。

明るいパワーとエネルギーを与え続け、お茶目ぶりを発揮していた福島さん。病院中のスタッフの方達にとっても本当に愛すべき存在だったのでしょう。こんな方が身近にいらっしゃったら患者さんたちはどれだけ勇気付けられるのだろうと思います。

福島さんは、自分と同じ境遇にいる全ての方に、「人生は常にユーモアの心を持ち、笑顔を絶やさず前向きに生きること。その気持ちの持ち方ひとつでどんな病気をも克服できるのだと思います。私がその見本よ。」という言葉を送って下さいました。

そんな福島さんに奇跡的な回復力をもたらした「キラキラ」のもう一つの源・・・それは「恋心を持ち続けること」と、はじけるような笑顔で私達に語りかけて下さいました。ちなみに福島さんは、植え込まれた人工弁を「MY TOMOHIKO」、ペースメーカーを「MY SATOSHI」、胸のラインを「HATTORI ライン」と命名しているそうです。(それぞれ担当のドクターの名で、感謝の気持ちと恋心を抱いているそうです。)

手術前も手術後も福島さんを支えたのは「マスターズ世界大会出場」という大きな人生目標があったことです。主治医からは競泳レベルの水泳は止められていますが、術後丸1年経過した2006年6月現在、50m競技用プールで1キロ30分ぐらいのゆっくりとした泳ぎで水泳を楽しんでいます。いつの日か、福島さんはこの目標を叶えるでしょう!!

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