長い長い10日間の夢から覚めたとき、中井川さんの目に最初に飛び込んできたのはご主人とご家族の心配そうな顔でした。
2006年3月21日、中井川さんは突然倒れ救急車で病院に運ばれました。
最初は肺炎と診断され、すぐ回復するだろうとご家族に告げられていたにもかかわらず、日に日に容態は悪化、昏睡状態が続きます。不審に思った医師らの検査により、5日目に僧帽弁閉鎖不全症と診断が下され、そのまま手術に突入したのです。心臓弁をセント・ジュード・メディカル®人工心臓弁(機械弁)に置き換える手術でした。
その間、中井川さんは一度も意識を戻しませんでした。再び意識を戻すのは倒れてから10日も経過してからのことです。
中井川さんのお宅は葡萄を作っている農家です。春先から葡萄を収穫する秋まで非常に忙しく過ごしているにもかかわらず、ボランティア活動もしており、子供達と楽しい行事を行ったり、月に1度、老人ホームを訪問し手作りのプレゼントや折り紙・歌などで触れ合いを楽しんでいました。
また旅行が大好きで、国内はもとよりご主人とお2人で海外旅行にもよく出かけていて、本当に活動的な生活を送っていたのです。
そんな中井川さんですが、以前から他の人と比べて疲れやすく心臓がすぐドキドキして呼吸が苦しくなりやすい傾向があったとのことです。テニスをしてもお友達より早く苦しくなったり、山登りハイキングなどでも途中から息切れがして苦しくなったり・・・。その傾向は徐々に強くなっていたようです。またかなり前から、月に一度くらい、胸がギュッと詰まったような感じになりました。2年前カナダへ向かう飛行機の中でもこの症状を経験し、それ以降はこの症状が発症する間隔が短くなっていったということです。このとき病院へ行って検査を受けていれば、ここまで重症にはならなかったかもしれませんが、中井川さんは病院が苦手で健康診断なども受けたことがなかったそうです。従って、倒れたときがたまたまお彼岸の中日で、来客などがあったために家に人がいて、すぐに救急車を呼ぶことができたというのは本当に不幸中の幸いでした。しかも、人工弁置換術という心臓の手術を受けるとは夢にも思わず生活をしており、意識を失っている間に手術が無事に終わっていたのですから、ご家族にとっては大変つらい時間だったはずですが、中井川さん自身にとってはやはり不幸中の幸いと言えるでしょう。
中井川さんの前向きさは入院期間中にも発揮されます。指先に刺激を与えるといいと言われ、ベッドの上で趣味であるペーパーフラワーの製作に没頭しました。最初のうちは指に力が入らないためペンチがうまく使えず思うようにいきませでしたが、徐々に感覚を取り戻していったとのことです。
退院して自宅での生活を始めてからも、手に力が入らなかったり歩くにも杖が必要だったりしたとのことですが、10日後位には近所の方々が「完全に元気になったのね。」と勘違いするほどで、葡萄畑の中を歩いていました。
その後は順調に回復してすっかり元通り、いえ、以前よりもずっと元気になったのです!以前のようにちょっとした徒歩や運動で起こる息苦しさはまるで起こらなくなり、ますます元気にボランティア活動や葡萄作りに精を出しています。
もちろん、再び海外旅行へも出かけています。これからもどんどんいろいろな国へ行ってみたいと熱く話す中井川さんは本当に生き生きしていました。
中井川さんはおっしゃいます。「この人工弁のおかげでこんなに元気になることができました。ちょっとした運動であんなに呼吸が苦しくなっていたのに、今は全く問題ありません。本当に感謝しています。もっと早くに検査を受けていればもっと早く元気になっていたのですよね。」と。この言葉は、そのまま同じ状況の方々への中井川さんからのメッセージでもあります。
積極的にいろいろなことに取り組んでいる中井川さんですが、もうひとつの趣味−短歌は、完全に趣味の域を超えていて、「葡萄」と名づけた短歌集まで出版されたほどです。
何気ない日常や、海外旅行の感動などが短歌に謳われていますが、倒れてからのことも短歌に詠んでいて、時間の経過と回復の様子を伺うことができます。
●「苦しい」と叫びて畳にくづれ落つ気づきし時は十日もたちて
●病院の窓より眺むる桜(はな)の色まこと鮮やか 励ましくるる
●日に日にと力戻り来るつたはりて歩ける喜びこの上もなく
●「5時間の手術はすごく長かった」と夫の胸中知りて嬉しも
また、人工弁という無機質なものが、中井川さんの手にかかるとこんな風に生命感のあるものに感じられてきます。
●レントゲン写真をみせて主治医は言ふ「ここにあるのが 人工弁」と
●我が心臓人工弁に支へられ今日も元気に過ごせる倖せ
これからも中井川さんは、短歌に、旅行に、ボランティアに、そして一番大切な葡萄栽培にと、元気に精力的に取り組んでいくことでしょう。
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