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患者さんの声
患者さんの声 from Japan
緒方信彦 1.緒方 信彦
私と同じ立場にある患者さんへ・・・医師として、一人の人間として
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「ハートの記念日」を迎える度に感謝の気持ちで一杯に・・・
福島光代 3.福島 光代
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中井川幸枝 4.中井川 幸枝
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寺尾清見 5.寺尾 清見
ハンディキャップなんてない。私は人生を楽しんでいる。
患者さんの声 from U.S.A.
レス バレット 1.レス バレット
人工心臓弁植え込み7年後、シカゴ・マラソンに参加
ブライアン ムーア 2.ブライアン ムーア
レス バレットの成功談が人工心臓弁を植え込んでいる自分にマラソンを走るよう奮い立たせた!
ルーディー ガルドニック 3.ルーディー ガルドニック
自分のこの境遇に感謝したい!
ベロニカ マイヤー 4.ベロニカ マイヤー
そしてついに2007年5月16日(ネパール時間午前4時)3度目の挑戦でエベレストを制覇!!
キャスリーン スカーリー 5.キャスリーン スカーリー
New Yorkマラソン完走!人工心臓弁を植え込んでいる女性で初のマラソン完走者
ベロニカマイヤーのエベレスト登頂記
New Yorkマラソン完走!人工心臓弁を植え込んでいる女性で初のマラソン完走者

クロスカントリー競技のコーチは、全員が走り終えたことを確認するために必ず最後尾のランナーと一緒に走ります。ジュニア・ハイスクール時代、キャスリーン スカーリーにとって、それは大抵の練習でコーチが自分と一緒に走っているということでした。しかし今では、状況は全く変化したのです!彼女は、もはや最後尾のランナーではありません。それどころか、大動脈弁位に人工心臓弁を植え込んでいる女性初のマラソン完走者になったのです。しかも、およそ7,000人以上のランナーを引き離して完走したのです。

キャスリーンは心室中隔欠損症をもって生まれました。それでも長年、普通の生活を送っていました。ところが、12歳のときに肺炎にかかり、血液中にブドウ球菌感染が認められ入院しました。心エコー図から、治療が必要なほど重大なものではないものの大動脈閉鎖不全症であることがわかりました。自宅に戻り、健康に注意した生活を送っていましたが、14歳のときに大動脈閉鎖不全症が進行し、大動脈弁修復術を行いました。術後は順調に回復しました。

その後、ハイスクールではスポーツ以外のさまざまな活動にも携わり、仲間同士のまとめ役になり、生徒のためのドロップイン・カウンセリングセンターを共同で設立し、学生自治会やモデル ユナイテッド ネーションに参加したりしました。アートとファッションデザインに打ち込み、クロスカントリー競技のかつてのコーチ(ジュニア・ハイスクール時代の美術の教師でもあります)を説得して作品集をまとめるのを手伝ってもらい、米国ニューヨーク州マンハッタンにあるファッション工科大学(FIT)に願書を出し、入学を許可されました。

FIT在学中最も注目される出来事は、イタリアのフィレンツェに1年間留学し、「素晴らしいイタリアの大家族」のように皆と一緒に生活したことです。キャスリーンの心臓にどこか悪いところがあるということは決して誰にもわからなかったでしょう。ひとつの症状ーー安静にしていても心臓の鼓動が速くなることがよくあり、傍目からでも頸動脈が脈打っているのがわかるーーという点を除いて。「時々、部屋の向こうからでも脈打っているのが見えたのではないでしょうか」とキャスリーンは言っています。主治医の心臓専門医に定期的に診察を受けていて、修復した弁が悪化していることがわかりました。それで、FITでの最終学年のクリスマス休暇中に大動脈弁置換術を受けることにしたのです。

キャスリーンは、セント・ジュード・メディカル®人工心臓弁(機械弁)を植え込み、なんとその手術のちょうど1カ月後には、有名なオランダ人ファッションデザイナー、クース・ヴァン・デ・アッカーの下で研修を始めていました。「私が未だ弁手術の回復期間にあった間、彼はとても融通を利かせてくれ、応援し、支えてくれました。」とキャスリーンは話してくれました。

この2回目の手術が、キャスリーンに大きな影響を与えたのです。「健康のことばかり考えて、生きていることを楽しむことなくベッドに縛り付けられるのは絶対にいやだ。ということを思い知りました。」と彼女は言っています。ソートン・ワイルダーの戯曲『わが町』が彼女の刺激になってきました。このストーリーの中でワイルダーが、「人生はうたかたであり、しばしば死が不意に訪れる。だから、一瞬一瞬を精一杯生きることが、私達人間にとっての義務である。」と指摘しています。キャスリーンが大切にしているのはこの言葉です。

現在、キャスリーンは米国ニューヨーク州のアン・テーラーのデザインチームでカラー担当として働いています。この会社は、Komen Race for the Cure®を支援しています。これまで数名の同僚がこのレースに参加してきました。キャスリーンは、自分だってできるのではと思いました。2001年の3.1マイルKomen Race for the Cure®は、彼女の初参加レースになるはずでしたが、あの9月11日の同時多発テロのため開催されることはありませんでした。しかし、キャスリーンはランニングとトレーニングを続けました。何度かのニューヨークシティ・マラソンではレース中、同僚たちに声援を送りました。その後、2003年5月に米国バーモント州で開催されたフルマラソンに叔父3人と組んで参加しました。キャスリーンの受け持ち区間は6.2マイルでした。さらに、ニューヨークロードランナーズ ウェブサイトを閲覧していて自分のトレーニングスケジュールが既にマラソン初参加者と同じ水準に達していることに気づき、面白半分にニューヨークシティ・マラソンに参加登録しました。そして、このマラソンの抽選で参加が認められたのです。

キャスリーンは参加が認められると、マラソンに参加したことがある人工心臓弁を植え込んでいる女性が他にいないかどうかを知るため調査を始めました。調査はうまくいきませんでしたが、彼女は、再び突き進んでいくために進み出すときであることを実感しました。ニューヨークシティ・マラソンに参加すること、それが、彼女がとにかくやらなければならないことでした。ロードランナー・トレーニングスケジュールを採り入れ、スピードトレーニングのクラスに参加しました。パワーバー、ピーナッツバターとジャムをはさんだサンドイッチを食べてトレーニングスケジュールのためのエネルギーを補給しました。水泳が苦手な彼女でしたが、深海ランニングクラスに登録し、恐怖に立ち向かいました。1週間当たりに走る距離を割り当て、マラソン前の4カ月間は1週間に23〜37マイルを走っていました。「フォックス・ニュース」に加え、「ランナーズ・ワールド」が彼女の特集をしました。マラソンの3週間前、コースの最後10マイルを走りました。コースのことはわかりました。走る準備が整ったのです。

2003年11月2日、キャスリーン スカーリーはスタートした5時間20分後にニューヨークシティ・マラソンのゴールを切りました。それは爽快で、感動的で、楽しいものでした。キャスリーンは人生を振り返ってこう語っています。「ハイスクールの生徒だったとき、私は何か素晴らしいこと――素敵な洋服をデザインするといったようなことをしなくちゃいけない、というふうに感じていました。でも、今はこのレースに参加することによって素晴らしいことを成し遂げたと思っています。私のニューヨークシティ・マラソン完走が、他の人たちが勇気や希望を持つきっかけになってくれればいいのですが。」現在、彼女は心疾患患者のためのランニンググループを作りたいと思っています。誰か、挑戦に応じる人はいませんか?ランニングの練習でいつもビリだった少女キャスリーン スカーリーが、このニューヨークシティ・マラソンを素晴らしい成績で完走したのです。人工心臓弁を植え込んでマラソンを完走という快挙を成し遂げた世界最初の女性になったのです。

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